例えば美味しいビールになったり

嵐さんとうぇすとくんがすき。

二宮和也について

 

私は担当は誰ですか、と言われれば二宮さんと望ですって答えるし、1人を選んでくださいって言われればたくさん涙を流しながらも結局二宮さんを選ぶ。なんてったって私の8年はこの人に注いでいる。担降り、という言葉があるけれど私はこの先どれほど望に心を奪われたって二宮さんを手放すことは一生出来ないと思ってるしもうここで言い切ってもいい。それに、もし私が美少女戦士を辞めたとしても、二宮和也ファンというものを辞める日は来ないと思っている。そこらへんも含めて、私が思い、そして考える二宮和也について、書き残しておきたい。

 

 

これほど熱い思いをずらずらと並べたものの、私は最初智くんファンだった。周りの友達に言われたらは?みたいな顔をされるくらい今はすっかり二宮イメージが染み付いてるが、それでも最初私が好きだなと思ったのは智くんだった。なんと言っても、声。智くんの歌声が好きで好きでたまらなくて、ということしかあまり覚えてない。だって小学生だもの。まだ貢ぐなんて言葉を知らないガールだもの。ただ、二宮さんへと心が移った理由はしっかり覚えている。私は、大宮が大好きだ。例え智くん担当が山推しだとしても、二宮さん担当がにのあい推しだとしても、あれだけメジャーなコンビなのにも関わらずあまり推されていないとしても、私はあの大宮が大好きだ。かなりのコンビ好きで、その2人にしかない雰囲気を楽しむのが好きな私だが、もう大宮に変えられるものはないと思っている。そしてあの頃、私が嵐さんを好きになり、智くんを見ていた頃、必ず隣にいたのは二宮和也という男だった。自然と目に入った二宮さんは、あっという間に私の心を奪っていった。今思えば、あの頃音楽を聴いていた自分をあまり思い出せないのにGimmicGameを聴いている自分だけははっきり思い出せるから自分の気付かない間にもかなり二宮和也に侵食れていた。今となっては二宮さんの全てが好きだけれど、あの頃1番最初に何を好きになったか、と思い出すならばキャラだよなあ。バラエティーで見せるツッコミとボケの絶妙なバランスが、あの頃でもあった。ただ単純に笑っていたけれど、あの人はずっと前から喋りが達者だった。多分、そういうところが好きになったんだと思う。多分。この辺についても記憶は曖昧だ。ただあの頃さらっと乗り打った二宮さんは、結局8年間私の心を掴んで離していないのだ。(因みに智くんのことを好きだったのは3ヶ月くらいの短いお話。)

 

 

私は二宮和也という男ほど、多面的な男はいないと思う。それは今となってはジャニヲタでない人たちでさえ感じているところだと思うけれど、ジャニヲタとして、そして二宮担としてはさらに多くの面を感じている。嵐にしやがれVS嵐など、バラエティーで見る二宮和也は明るい。鋭いツッコミを入れたりすることもあるし先輩(主に克実さんに)馴れ馴れしくしちゃうけど、そういったところも含めて人懐っこい明るい人だと思う。人たらしだというのはもう否定できない部分だ。先輩であれ後輩であれ、人の懐に入るのはすごく上手い。それは彼の明るさと、そして憎めない愛らしさがあると思う。顔もわんこだし。ただ、二宮和也は時々ダークな部分をちらつかせる。嵐ファンなら二宮和也のいじめられていた過去を知っている人も多いと思うが、彼の独特の考え方はやっぱりその過去からきているものだと思う。現実的で、基本とても温かい人なのにたまに、私は二宮さんにとても冷たい部分を感じることがある。突き放すところはしっかりと突き放すからだと思う。そう思う私のことでさえ彼は仕方ないですね、なんて置いていくような気もする。わたくし、の自分のことを指すことが多いのもどこか形式的に感じる。考えすぎかも知れないけれど。ただそう言った、彼にしかない彼の考え方が私は好きだ。目の前にあるものをちゃんと考える、過去は過去、未来は未来。今時分は今を生きている、と言いたげなその考え方が。NHKのハワイ特番話していた智くんの言葉も大きいんだろう。彼の、明るさの裏にある現実さを私はもっと知りたいと思う。ここまでは性格の話。ここからは彼の振り幅の話。二宮さんを含め嵐さんはアイドルだし、彼はアイドルでいる自分にすごく拘っているから、本業はやはり歌って踊ることだ。私は彼の歌も好きだ。彼の好きなところを順に挙げるとするなら2番目に好き。ちなみに考え方は3番目。二宮さんの少し高い声故に嵐さんの中でも少ないハモりパートをずっと任されてきた。だから、癖のない歌い方というのも彼の中でちゃんと出来るのだろう。ただ、私の好きな二宮さんの歌い方は、絞り出すような声の出し方。張り上げるような高音も出せるし、アイドルのような爽やかな透き通った声も出せるけど、少し力んだときに出るあの声が好き。印象的なので言えばアラフェス2013のstillだろうなあ。あれを聴いてにのちゃん(泣)となった人は多いと思うけれど、私はもう泣くとかそういったものを通り過ぎてただただ漠然と見るしかできなかった。私はこの人を好きで良かったと心から思った。あの場所で、アカペラで、一人で、stillを歌うことを決めた彼が好きだ。あの時の今にも泣き出しそうな声が、本当に好きだ。踊りに関してはもう二宮和也です!といった感じ。軽やかで自分の魅せ方を知っている。彼の踊りで好きなのは視線をちゃんと手の方へ向けるところ。ずっとカメラを見ているわけではなく、ここといった時にちゃんと決めてくる姿が、まさに二宮和也だと思う。視線の使い方が本当に上手い。そして彼は、伏せ目にすることで魅力が増す人だと思う。無類の伏せ目好きを名乗る私だけど、発症させたのはどう考えてもこの男だ。見つけたが最後、彼の視線の表現に引き込まれてしまう。そういった部分が躍りに現れている。そして、二宮さんが彼独自の輝きを放つのがやはり俳優業だと思う。なんてったってハリウッド。私の中で二宮和也は、舞台役者ではなくメディア俳優だと思う。演技には詳しくないけれど、舞台をするならするで彼はしっかりこなしてしまうけれど、それでも、メディアをざわつかせる俳優であると思う。その要因の1つとして、演技が細かいことにあると思う。大きく見せるより、小さな、細かい変化を見せることが上手い。もはや二宮和也全般において言えることだが、彼は強弱で出来ていると思う。ここが1番好きなところ。バラエティーに於いても、歌と躍りに於いても、そして演技に於いても。それは彼の言う演じるに於いて間が楽しいということの影響もあるだろうけど、しっかりためて、抜いて、力む。この簡単にも見える作業が何よりも難しく、そして彼は淡々とこなしてしまう。嗚呼二宮和也が罪過ぎて辛い。そして沢山のことをこなしながらギターも弾いちゃうしマジックなんかもしちゃう。しかもそれだけ趣味がありながらゲームと言えば二宮和也だよねみたいな雰囲気さえ作り上げてしまう。なにそれ。情熱大陸でもPV撮影中にDSに集中している姿が流れていた。普通の人ならいやしっかりしろよと思わずにはいられないけど、彼はそう思わせるよりも先にちゃんとしちゃうからなあ。有無を言わせない人なのかもしれない。出来上がっている。なのにどこか不安定で儚さが残っている。ここまで来るともはや盲目感が見え隠れするけれど気にしない。私は二宮和也という男を崇めるというスタンスで愛している。

 

この先も、彼はきっと自分のやり方で自分を守り、嵐さんを守り進んでいくのだろうと思う。彼は強火嵐担である。嵐でありながら、嵐のことが誰よりも好きな男である。きっと、彼にとって初めて見つけた居場所みたいなものだったんだろう。だから嵐を守るためならきっとなんだってしてしまう、そんな彼が私は好きだ。

 

 

二宮さんが嵐でよかった。5人でいて。ずっといて。